酒場シネトーク:渋谷

CINEMA TALK BAR
SHIBUYA,TOKYO

文/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda

渋谷の裏通りに立つ登地勝志氏

焼き鳥 渋谷森本 YAKITORI SHIBUYA MORIMOTO 

若者の街、渋谷でも、裏通りには、昔ながらの小さな焼き鳥屋が残っています。

「渋谷森本」は、見るからに新鮮な肉を、炭火でじっくり焼き、何を食べても美味しく、うなぎの串焼きも名物です。

つくね
砂きも ひな皮
あい鴨
東京軍鶏
笹身 うずら玉子
椎茸

「渋谷森本」の丸太でできたカウンター席で飲んでいると、幼い頃、商店街に「止まり木」とよばれる簡易なカウンター席の飲み屋が数件あったことを思い出します。

当時、小学生だった私はテレビを観るのが楽しみで、学校から帰ると、母親と一緒に奥様映画劇場を観ていました。

この時間帯は、子供が喜ぶようなアクション物は少なく、低予算で仕入れられるヨーロッパの芸術的な小品が多くて、ヴィットリオ・デシーカの『自転車泥棒』とか、ジャン・コクトーの『美女と野獣』などを観ていました。

夜は、仕事から帰った父親が、毎週『ナポレオン・ソロ』を観ていたので、一緒に観ているうちにファンになりました。

『ナポレオン・ソロ』は、アメリカで製作されたテレビ番組で、日本では1966年から1970年にかけて、日本テレビ系で放送されていました。

登地氏が所有する『ナポレオン・ソロ』1966年劇場公開版パンフレット

当時はイギリスの007のヒットからスパイ物がブームになり、アメリカのテレビ局が、007の原作を手がけたイアン・フレミングにコンセプトの監修を依頼して制作したのが『ナポレオン・ソロ』です。

アンクルという架空の諜報組織を背景にしていたので『アンクルから来た男』という原題でしたが、日本では、テレビ局の宣伝部が主人公のロバート・ボーン演じる諜報部員の認識番号と劇中名を前面に出した『0011ナポレオン・ソロ』という独自のタイトルを使っていました。

『ナポレオン・ソロ』は1時間物が基本でしたが、たまに、前・後編に分けて放送する2時間物の長編もあり、映画版として劇場公開もされました。

こうしたメディアの影響で、当時の『ナポレオン・ソロ』は、007と同じくらい人気があり、アメリカのスパイ物では真打ちでした。

手羽先
血きも(レバーのこと)

うなぎ太巻

バー 渋谷 門 BAR SHIBUYA MON

終戦直後の1949年に創業した老舗バー「門」は、西部劇に出てくるようなスイングドアで、進駐軍の宿舎が渋谷の近くにあった頃の面影を感じます。

『ナポレオン・ソロ』のベースには、ヒッチコックの映画『北北西に進路を取れ』(1959年)の影響が見られます。

サスペンス・アクションを中心にしながら、随所にユーモアや色気、モダンアートを取り入れ、軽妙なタッチに仕上げている点が類似していることと、『北北西』で公安警察の指揮官を演じた、レオ・G・キャロルという初老の男優を諜報部員の上司役で起用しています。

話は『北北西』にそれますが、この映画で主人公を演じたケイリー・グラントのシャツの着こなしが気に入っています。

大きめのシャツをウエストでブルゾンのようにふくらませて、全身を逆三角形にまとめる着こなしは、欧州の舞台衣装や舞踏などの古典芸能に見られる優雅なシルエットの伝統で、英国出身のグラントらしい気品を感じます。

『北北西に進路を取れ』の中でラシュモア山に立つケイリー・グラント

特にクライマックスのラシュモア山の追撃戦では、得意のシルエットにオックスフォード地の白いボタンダウン・シャツをノーネクタイで合わせ、ブリティッシュ・アメリカンのラフな雰囲気で着こなす姿がカッコ良いです。

世の流行がシャツを細目に着る傾向でも、私にとっては、グラント・スタイルが永遠の憧れです。

『ナポレオン・ソロ』の主人公の着こなしは、西海岸よりのコンポラスタイルで、アメリカントラッドよりも軽快でモダンなものでした。

『ナポレオン・ソロ』は、映画ほど予算が無く、大仕掛けの要塞や乗り物を作ることができなかったので、拳銃の使い方に凝っていました。

ワルサーP38をベースにしながら、状況によって様々なアタッチメントを着脱するのです。アタッチメントはスーツの下に着用した、特殊ベルトに収納していました。

男は道具を組み立てることが、本能的に好きなので、この拳銃の使い方は人気になり、後のモデルガンブームの火付け役となりました。

当時はMGCというメーカーのモデルガンが時代考証と出来栄えにリアリティーがあって絶大な人気がありました。

『ナポレオン・ソロ』の映画のパンフレットには、MGCが手がけたナポレオン・ソロのモデルガンのタイアップ広告が出ていて、子供たちの憧れでした。

当時MGCのモデルガンは、関西では、京都の新京極にある「やまもと」という専門店が特約販売していました。「やまもと」は京都で撮影されていた映画『仁義なき戦い』シリーズに撮影用の銃を調達するなど、関西のガンマニアにとっては聖地でした。

休みの日は実家のある滋賀県の彦根から電車で1時間かけて京都に行って、「やまもと」で飽きもせず銃を見ていました。モデルガンは、楽器やカメラとちがって、
人前で使うことはほとんどありません。自分の部屋の中で、手に取って眺めたり、磨くだけです。磨くといっても、樹脂製なので、溶剤にこだわることもなく、もっぱら、から拭きです。