名画周遊:姫路

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
HIMEJI,HYOGO PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

国際犯罪組織のアジトに、英国諜報部員と日本人の忍者部隊が突入する。『007は二度死ぬ』(ルイス・ギルバート監督1967年・昭和41年作品)のクライマックスシーンである。

スタイリストの登地勝志氏と飲んでいる時に、日本のロケ地のことを記事にしているなら、007シリーズの中で唯一日本が舞台となった『二度死ぬ』のことを書いたらどうか、と提案をいただいた。

登地氏はテレビドラマ『リーガルハイ』のシーズン2に主演している堺雅人さんの衣装担当で忙しい合間、参考資料にと、ご自身がボロボロになるまで愛読している1966年に発行された映画雑誌『ロードショー』の007日本ロケ特集増刊号をご持参いただいた。

今回はこの雑誌を旅行ガイドに、忍者道場として登場する姫路城と城下町を探訪した。

近代映画社1966年/昭和41年11月発行 『スクリーン』臨時増刊11月号 ショーン・コネリー来日記念号より MOVIE MAGAZINE “SCREEN” 1966 OCTOBER EXTRA NUMBER

1966年当時、海外旅行は庶民にとって夢の時代で、欧米の映画産業もこうした庶民の憧れを意識して、名所旧跡を背景にする趣向が頻繁に見られた。

ローマやナポリ、パリ、香港を背景にする映画が次々に公開されるなか、007が日本を舞台に選んだことは、オリンピックを契機に高度成長する日本に対する世界の注目度の高さがうかがえる。

姫路城 HIMEJI CASTLE

三の丸広場

姫路城は明治維新の廃城令で民間に払い下げられ、取り壊さるはずが、資金不足から廃墟のまま放置され、その後陸軍の手に渡り、訓練所の名目から取り壊しを免れた。

明治維新が一段落すると、貴重な文化財として保存しようという気運が高まり現在に至る。その間、世界大戦中に空襲を受けるも、不発弾のため奇跡的に被害を免れ、戦後は、国宝や世界遺産に認定される数奇な運命をたどる。

007の撮影が行われたのは、昭和の大修理が終わった直後で、ショーン・コネリーがヘリコプターから降り立つ三の丸広場は青空に真っ白い天守閣が映え、芝生も青々していた。

あれから半世紀が過ぎ、天守閣は老朽化してきたため、現在は平成の大修理がおこなわれている。修理期間中は、天守閣を囲むように人夫の足場を組むことで荘厳な外観が見られなくなることから、観光客向けの補完サービスとして天守閣をすっぽり覆うビルのような仮囲いを作って、その中をエレベーターで昇降して、修理作業を正面から見学する施設「天空の白鷺」を開業している。

「天空の白鷺」から修理完成間際の天守閣屋根を眺める

「帯のやぐら」の壁

雑誌『ロードショー』007特集の中で、姫路城ロケに関する記事のほとんどは、撮影隊が国宝を傷つけた、という内容である。

記事によると、姫路城の「帯のやぐら」の一角で、忍者が手裏剣の訓練をするシーンの撮影中に、誤って壁に無数の傷をつけ、城の関係者は撮影続行を拒み、制作者側が修理代を払うことで和解したものの、横暴な撮影態度は新聞紙上で社会問題とされ、世論の反感をかったという。

今改めて読むと、映画ファン向けの雑誌の記事としては違和感を感じる。同じ年に来日したビートルズを特集する当時の雑誌も、来日するタレントが持つ芸術性や文化を紹介する記事はほとんどなく、騒動を機に、やり場の無い被害者意識を共有しようとしたり、日ごろの政治不安を煽る論調ばかりであった。

華やかなビジネスの裏で、戦後の統治下から解放されて日が浅く、日本国内での外国人の振る舞いに過敏になっていた世相を感じる。

問題の壁を見ると、傷の修復跡よりもランダムに並んだ小窓が気になる。西洋建築にはあまり見られない不規則なデザインはモダンな印象で、不思議な魅力がある。

城のパンフレットによると、この小窓は狭間(さま)と呼ばれ、侵入する外敵を攻撃するための窓で、武器の用途によって形状がわかれ、小さな丸や三角は鉄砲用、長方形は弓矢用、大きな四角は大砲用などであったという。パンフレットにはこの他にも、建築デザインの歴史的意義や見どころが紹介されている。

007の撮影から半世紀の間に、庶民の関心事は一過性のゴシップから物ごとの背景にある芸術性や文化を探求する方向に変化して、メディアもそれに対応している。

「天空の白鷺」から城下町を眺める VIEW FROM THE TOP OF THE CASTLE
「天空の白鷺」から城下町を眺める VIEW FROM THE TOP OF THE CASTLE

江戸時代の姫路の城下町では、本陣の宿のみが二階建てが認められ、その周辺の繁華街は二階町とよばれていた。現在も二階町という町名は残り、地域一番の繁華街として百貨店やアーゲードのある商店街が広がる。

割烹「森富」 JAPANESE RESTAURANT “MORITOMI”

鱈の白子ポン酢
蒸し穴重

姫路では瀬戸内の海の幸を使った料理が豊富で、あなご料理も名物のひとつだ。1937年(昭和12年)に創業した老舗割烹「森富」で蒸し穴子のお重をいただく。厳選された素材と熟練の技で、穴子特有のとろけるような食感が強調され、質の高い料理になっている。

居酒屋「夢や」 DRINK BAR “YUMEYA”
姫路おでん

おでんの味つけは、雑煮やラーメンのように地域によって様々で、姫路のおでんはショウガ醤油でいただくことが特徴になっている。

商店街のカウンターだけの飲み屋「夢や」で姫路おでんを注文する。ショウガ醤油の存在は強く感じないが、地元名産の水産加工品ややわらかい衣に汁がたっぷりシミた厚揚げなど、脇役に存在感がある。

アーケードの商店街を抜けると、かつての花街を思わせる飲食店街がある。さらに海よりの下町には、青果や鮮魚の商店街があり、江戸時代の商店の配置がそのまま現代版になっているかのようだ。

姫路駅 HIMEJI STATION

姫路の街では、戦国時代の城は文化財として存続して、高度成長時代の建物をリフォームする時期をむかえている。

一方、高度成長時代に栄えた商店街は、かつて街はずれに作られた鉄道の駅にできた商業施設や郊外型ショッピングセンターなどの新興勢力と戦国時代をむかえていた。秘密兵器や忍術は映画の中だけの話で、成熟した消費社会の集客に奇策はない。

姫路駅プラットホームのソバスタンド「まねき」 SOBA STAND “MANEKI”
天ぷらえきそば

明治時代、姫路で全国に先駆けて駅弁の販売をはじめた「まねき食品」は、戦後の物資が乏しい時代に、狭い駅のスタンドでなんとか美味しいものを提供しようと日持ちのよかった中華麺と和風だしを組み合わせた独自の駅ソバを開発した。

この味は、この味なりに評判となり、食材の保存方法が発達した現在でも「えきそば」という独立した料理として継承され、スタンドは乗客がひっきりなしに入って繁昌している。

中華麺はちぢれ麺ではなく、平打ちのまっすぐな麺で、想っていたほど違和感はなく、天ぷらの中に入る干しエビの風味は香ばしく、貧しかった時代に、美味しさの試行錯誤をくり返した痕跡が残っていた。