TRIP TO MOVIE LOCATIONS
IKAHO SPA,GUNMA PREFECTURE
写真・文/織田城司 Photo Essay by George Oda
「僕は君と榛名へでも登って死ぬことを空想してたんだがね」
何とも物騒なセリフは成瀬巳喜男監督映画『浮雲』(1955年/昭和30年作)の中で、森雅之演じる妻のある男が伊香保温泉の旅館で不倫相手を演じる高峰秀子に語ったものである。
二人は東京の街を浮雲のようにさまよい、「私たちって行く所がないみたいね」「そうだなあ。どこか、遠くへ行こうか」と語り、二人の仲を成就させるには心中するしかないと想い、伊香保温泉にたどりついたのである。
森雅之は伊香保温泉で心中する意識が薄れてしまい、岡田茉莉子演じる飲食店の若妻に手を出してしまう。それを女の勘で察知した高峰秀子は森雅之に向かって「伊香保で心中するつもりだなんて、あなたの出まかせよ。私が死ぬのを見て、自分だけゆっくりその場を逃れていく人よ」と、なじる。
優柔不断な男によって不幸な運命に陥る女の愛憎劇は、原作者の林芙美子が得意とする世界だ。伊香保温泉は、今も往時の面影を残しながら、にぎわいを見せている。
小津安二郎監督映画『秋日和』(1960年/昭和35年作)の中で、未亡人を演じる原節子と一人娘を演じる司葉子は、司葉子の縁談が決まったことで、伊香保温泉に別れの旅に出る。
石段街の旅館の寝床で司葉子は原節子に再婚をすすめる。司葉子は母一人をアパートに残して嫁入りするのが心苦しいのである。
すると原節子は司葉子に「お母さん、もうこれでいいのよ。今さらもう一度、ふもとから山へ登るなんて、もうこりごり…」と、語る。
翌日、原節子は榛名湖畔の茶店で司葉子に「あなたと二人きりの旅行もこれでおしまいね。ここでゆで小豆食べたこと、いつまでも覚えてるわ」と語る。
『浮雲』と『秋日和』、どちらも孤独感を引き立たせるために、にぎやかな場所を背景にする映画的修辞が使われ、行楽客や修学旅行生でにぎわう伊香保温泉は、陽と陰のコントラストに効果的で、深い印象を残している。
伊香保温泉からの帰り道、榛名湖から高崎に下る山道に唯一たたずむ飲食店「魚籠屋」(びくや)に立ち寄る。駐車場で車から降りると渓流の音が聞こえ、薪の山が目につく。
店の真ん中の囲炉裏では時折薪が「バチン」と破裂して灰が外に飛び散る。生け簀には店の前の渓流で穫ったイワナが放流されていて、塩焼きを注文するとその場でさばいて囲炉裏で焼く。最近社会問題になっている食品の偽装表示とは無縁の世界だ。
「頭から食べられますよ」と言われて出て来たイワナの塩焼きは、油で揚げたような香ばしさとカリッとした食感がある。深い囲炉裏の中では、熱が反射しながら対流するので独特の焼き加減に仕上がるのであろう。
冬期限定メニュー「お切り込み」は小麦粉の手打ち太麺が入る味噌仕立の汁物。具材は大根やにんじん、山菜などの野菜が中心で、自然の旨味が生きた素朴な味わいだ。
地方によって呼び名や具材が変わる郷土料理で、カボチャを入れる山梨県の「ほうとう」も有名である。
「お好みで」と言われて出てきた青唐辛子の醤油漬けを「お切り込み」に入れていると囲炉裏の煙が目にしみる。
一瞬、子供の頃に見た落ち葉炊きを思い出す。最近見ることが少なくなった冬のにおいを感じる風物詩を懐かしく思った。
魚籠屋には古民家風とか民芸調などの形容詞は不要で、田舎の生活そのものを体感する迫力がある。
人里離れた山小屋はにぎやかな温泉街とは別世界で、『浮雲』の主人公のように心中を考える余裕はなく、山や川で食材を調達しなければ死んでしまう危機感がある。日本人の生活の原点に想いをめぐらしながら、キツネ色に焼き上がったオニギリをほおばり、山を下った。