ミラノ行き寝台特急

MIDNIGHT EXPRESS FROM PARIS TO MILANO

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda

パリのリヨン駅

パリで予定の仕事を終え、翌朝の飛行機で次の目的地ミラノへ移動する前日、日本の旅行代理店から、搭乗予定の飛行機が、航空会社のストライキで欠航になる連絡がありました。

翌日午後発の飛行機に乗り替えることもできましたが、午後は商談の予定を入れていたので、何とかして午前のうちにミラノに入りたい。

そこで、その日の夜にパリから寝台特急を使ってミラノに入ることを思いつき、関係者の尽力で何とか席を確保することができました。

このため、急いで街中からホテルに戻って荷物をまとめ、列車が発つリヨン駅に向かいました。

パリのリヨン駅と寝台特急

予約した列車は、フランスとイタリアの間を定期運行するThello(テロ)と呼ばれる寝台特急で、パリを夜8時に出発して10時間後の翌朝6時にミラノに着く便でした。

リヨン駅のクラシックな建物を見ていると、久しぶりに乗る寝台特急に期待がふくらみます。思わず、1930年代の欧州寝台特急を舞台にした映画『オリエント急行殺人事件』(シドニー・ルメット監督1974年作)の豪華な客室や着飾った乗客のイメージが浮かんできました。

ところがThello(テロ)は、日本でいえば夜行バスのように格安の長距離移動を特徴にしているので最低限の設備しかなく、オリエント急行とは程遠い印象です。

なおかつ、個室がある1等車は満席で、6人部屋の2等車しか空いていませんでした。

6人部屋は両脇に3段ベットが付く狭いスペースです。部屋ごとに乗車券を発行しないで、席ごとに乗車券を発行するので見知らぬ乗客同士が男女の別なく相部屋になることがあります。

私もアフロヘアの外国人男性と相部屋になったので、何となく落ち着かず、空いている部屋も多かったので、車掌に交渉して部屋を移ることにしました。

部屋の引き戸は内側から施錠できますが、あえて隙間を5㎝残して閉まる仕掛けなので、完全な密室にはなりません。いつでも廊下から室内を監視できるようになっているのです。

外から部屋に施錠できないので長時間部屋を離れると荷物が心配です。食堂車に行っても落ち着いて食事ができず、スナックと缶ビールを買って部屋の中で食べることにしました。

同じ車両には、アフロヘアの男性の他に、何か怪しげな雰囲気の人が暗い部屋の中で話していたり、引っ越しのように多くの荷物をところ構わず置く人や茶色いガウンのような民族衣装を身につけた男性などが、タコツボのような部屋から出ては、ゆっくりと廊下を徘徊しています。

時折、民族衣装の男が5㎝の隙間からジロリと部屋の中をのぞきます。なるほど、サスペンスが生まれる雰囲気だな、と思いました。こんな所で暴動や喧嘩でも起きたら、自分は日本人として一体何ができるだろう、と考えたりしました。

環境は期待はずれでしたが、列車が走り出すと、横揺れと車輪の音に、長い間忘れていた、昔の列車の乗り心地がありました。

今から40年ほど前、東北や北陸の専門店に服を売り込みに行く時は、飛行機は高額だったし、新幹線も無かったので、寝台特急が主な移動手段でした。そんな行商時代を思い出す懐かしい響きでした。

最近日本で、「北斗星」など、寝台特急の定期運行終了を惜しむファンの姿が報道されていました。今回、偶然ヨーロッパで寝台特急に乗ることで、ファンの気持ちがわかるような気がしました。

そこには、便利さを追い求めるかたわらで忘れ去られた風情が残っていました。

ミラノに近づくにつれて夜が白々と明けていきます。『世界の車窓から』のような趣のある景色とはいきませんが、かすかな霧がかかり、ところどころに残る雪を見ながら須賀敦子さんの随筆『ミラノ霧の風景』を思い出していると、車掌がミラノ到着を告げに来ました。

寝たのか寝ないのかわからないまま荷物をまとめます。スピードを落とす列車の廊下に出ると、ふと目が合った民族衣装の男がニヤリと笑ったのが印象的でした。

ミラノ中央駅
ミラノ中央駅

ミラノ中央駅に降り立つと、20年ほど前、ミラノに事務所を置いていたことがあるので、「ただいま」の気分でした。

おかげさまで商談を予定どおりこなすことができ、どの相手も今年ミラノで開催される万博を目前に活気がありました。

イタリアもワールドカップ優勝以来、ひさしく明るい話題がなかったのでこれを機に、景気にはずみをつけてもらいたいと思いました。

ミラノのガレリア
ミラノのドゥオモと万国旗が飾られたヴィットリオ・エマヌエル2世通り