昭和の銀幕

SCREEN THEATER IN SHIBUYA,TOKYO

文/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda

【 撮影所 】

俳優堺雅人さんの衣装を担当しているので、先日、最新出演作『鍵泥棒のメソッド』の舞台挨拶に同行して千葉の京成ローザという映画館に行って来ました。東京から共演の香川照之さんや広末涼子さんたちとマイクロバスで出かけ、夕方には豊洲で挨拶する予定が、帰りの湾岸道路が渋滞して開演10分前に着きました。こういうハプニングも遠足の思い出みたいなもので印象に残ります。みんなで映画を作る撮影所の雰囲気が好きです。

【 彦根 】

滋賀県の彦根に生まれて、親父は映画館で働いていました。親父が自分で次回作のチラシや新聞の折り込み広告なんかを作っているのを見ていました。当時は2色刷りでね。親父が勤めていたのは洋画館で、仕事が終わるとお袋と一緒に仲間の邦画館に
タダで入れてもらって映画を観ていました。当時はテレビ番組が少なかったので、みんな映画ばかり観てました。子供の頃最初に観た洋画はジャック・ベッケル監督の『穴』でしたね。『穴』をリアルタイムで観た人は少ないのでは。5歳か6歳なのに「脱獄もの」のフィルムノワールを観ているのですが、当時は違和感ありませんでした。

【 1964年 】

1964年(昭和39年)は、東京オリンピックがあったこともあり、映画も当たり年でした。『007危機一髪』のフィルムが、ようやく彦根の映画館にまわってきたのが公開から2年後のこの年でした。親父がすすめるので何度も観ました。なぜかユル・ブリンナー主演の『太陽の帝王』という「古代文明もの」と2本立てでした。この映画も悪くなく、DVDでも発売されています。『キングコング対ゴジラ』はゴジラシリーズ初のカラー作品で、キングコングという「外タレ」を使った豪華なものでした。『若大将シリーズ』に映る東京の景色に憧れ、『座頭市 あばれ凧』も印象に残っています。

007や座頭市はしぐさがカッコ良くてね。みんなで真似してましたよ。こうやって、徳利を上の方から傾けて、おちょこに向かってわざと音をたてて酒を注ぐのが、盲目の剣士があみ出した「座頭市注ぎ」です。

渋谷のガード下の博多料理店「さつまや」
ゴーヤの酢の物は、意外な調理法だが苦味がおさえられて、さっぱりした味に
酢みそでいただく、きびなごの刺身
時おり天井でガタゴト響く電車の音とヒンジのついた冷蔵庫が懐かしい雰囲気
山芋を炙ってゴマ塩と唐辛子で味をつけた「山芋のとんがら焼」
カツオのはらみの塩漬けを炙ったもの
若き原節子のポスターが印象的な店内。登地さんは原宿のビームスFに勤めていた数十年前からこの店に通い、店主のことを大将とよぶ。

【 健さんの思い出 】

原宿のビームスFで店長をしていた時に、高倉健さんがよく買いに来て下さいました。ジャンパーやパンツといったラフな物を買われることが多かったですね。M-65タイプのミリタリージャンパーは『駅STATION』の映画で使われました。お店にはMとLのサイズしか置いてなかったけれど、体格の大きな健さんのために、輸入代理店に頼んで、XLサイズを取り寄せました。健さんは、靴はチャーチのライダースやクラークスなどを選ばれ、クレープソールは夏場ゴムが溶けて床にくっつくことがあるので、圧縮スポンジに張り替えて使っていました。

小林稔侍さんは健さんと一緒に来店して、健さんが買う時は何も買わないで見ていて、2、3日後にひとりで来店して、「健さんどれ買ったっけ」といって同じ物を買っていくのです。健さんの服の選び方や着こなしを学ぼうとしていたのだと思いますが、さすがに、同じ時に買うのは遠慮したのでしょう。

ヨーロピアン・ビール・カフェ「BELGO」
カウンターにはビールメーカーが自分たちのビールに適した形として用意したグラスが集積されている
登地さんは一杯づつキャッシュで払うお店では、いちいち釣り銭を財布に入れない

【 黒背広もの 】

「黒背広もの」といわれる60年代から70年代の日本のヤクザ映画は、ハリウッドの若手監督に影響をあたえました。サム・ペキンパー監督の『ワイルド・バンチ』は西部劇だけれども、話の展開には明らかに、深作欣二が監督して鶴田浩二が主演した『博徒シリーズ』の影響が随所に見られます。マイケル・マンが監督してアル・パチーノとロバート・デニーロが共演した『ヒート』も『仁義なき戦い 頂上作戦』によく似ています。タランティーノ監督は深作監督の熱心なファンであることを公言していますね。

なぜ、これほどまで支持されるかというと、日本人特有の「落とし前をつける」美学が共感を呼ぶからでしょう。