名画周遊:蒲郡

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
GAMAGORI,AICHI PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

蒲郡駅前の商店街

佐分利信が演じる丸の内の会社役員のオフィスに中学時代からの友人を演じる笠智衆が相談事で訪ねて来る。

笠智衆の相談は、娘が家を出て男と同棲して、銀座のバアで働いているから、様子を見てほしいという依頼であった。

佐分利信は笠智衆に「お互い子供には手を焼くね」と語り、銀座のバーを訪ねると、
笠智衆の娘に父親と和解するよう説得するが、家に帰ると自分の長女の結婚には猛反対する矛盾を抱えていた。小津安二郎監督作品『彼岸花』(1958年/昭和33年作)の一場面である。

二人の中年男はその後、蒲郡の保養地で開かれたクラス会で再会してお互いの娘の近況ついて語る。この場面を印象深いものにしているむかしの保養地の面影を探しに蒲郡を訪ねた。

蒲郡駅前の三河湾魚貝料理店「福善」 創業当時の写真
現在の「福善」

刺身の盛り合わせ 定番アイテムに加え、脂ののった白身魚のバリエーションが豊富
香ばしく焼いたメヒカリに合わせた三河の地酒「蓬莱泉・可(ほうらいせん・べし)」は舌にピリッとくる辛口
魚貝類が充実したひとり用の寄せ鍋
残った汁で別注した雑炊

海に近い町を訪ねる時は、新鮮な地魚が楽しみである。蒲郡に着くと駅前の老舗割烹「福善」を訪ねた。店内では、久々に見たサトウサンペイのイラストが懐かしい。

店主は「お客さん、遠くから来たの?」と言って、旬な魚をすすめてくれたり、酒の好みに合わせてメニューにはない料理をアレンジしてくれた。土地の人の機微に触れられるお店は旅の醍醐味である。

蒲郡駅前のショット・バー「ホッカー」

夜の駅前の人影はまばらで、9時に閉店する「福善」の店主は「飲み足りない場合はこちらへ」と、弟さんが経営するショット・バー「ホッカー」を紹介してくれた。

アメリカン・ポップスの小物を飾るマスターは東京の大学を出て、東京の企業で勤めた後に、蒲郡に戻ってバーの経営を始めたそうだ。客層は地元の常連だけではなく、地場産業の繊維製品を発注に来る出張族も多いという。

蒲郡クラシックホテルから眺める三河湾の夜明け
蒲郡クラシックホテルから眺める三河湾と竹島の夜明け
蒲郡クラシックホテル GAMAGORI CLASSIC HOTEL

映画『彼岸花』のクラス会のシーンに映る蒲郡クラシックホテルは、三河湾を見下ろす丘の上で、1934年(昭和9年)に蒲郡ホテルとして開業した。

外観を城郭風にして、内装をアールデコ調の洋風にした和洋折衷ホテルは、現在経済産業省から近代化遺産に指定されている。

ホテルの和朝食は、海老や銀杏、しいたけなどが入るがんもどきの煮付け、釜揚げしらす、八丁味噌を使ったアサリの味噌汁など、地場の特産物が豊富に使われている。

海辺の文学記念館

ホテルのある丘から海岸に降りると海辺の文学記念館という明治時代の診療所の洋館を再現した建物がある。ここはかつて同地にあった常盤館という純和風旅館を訪れた文人墨客ゆかりの品々を展示する博物館になっている。

常盤館は蒲郡ホテルと同じ経営者が1912年(明治45年)に建てた旅館で、1980年(昭和55年)に廃業した。廃業の背景を常連客だった池波正太郎は随筆『よい匂いのする一夜』の中で「そういえば、ホテルの客が減ったのは、新幹線が走るようになってからで、それまでは、東京・名古屋からの新婚旅行客が多かった。(中略)だが、ホテルも常磐館も、さびれてしまって営業不能となったのではないらしい。オーナーの繊維会社がオイルショック以来、営業不振となり、銀行の管理下に置かれたのが原因なのだろう」と記している。このリストラで老朽化していた旅館は取り壊され、ホテルだけが存続することになった。

丘の上の蒲郡ホテルと海辺の常磐館(昭和40年代)
常盤館の客室から竹島を眺める雰囲気を再現したコーナー
常磐館で使われていた明治時代の和洋折衷デザインの電灯

常盤館で使われていた明治時代の和洋折衷デザインの電灯

常磐館で使われていた明治時代の時計は現在も動く現役
竹島から常磐館と蒲郡ホテルをのぞむ1961年(昭和36年)当時の写真

昔の竹島界隈の写真を見ると、桟橋が混雑していて人気のある保養地であることがわかる。新幹線が開通する前の東海道線沿線の保養地のにぎわいを感じる一枚だ。

男性のスーツ姿と女性の和服姿も印象的である。カジュアルウエアが開発されて世の中に浸透する前の時代はこのような格好が「よそ行き」や「お出かけ着」と呼ばれ、街中だけではなく、保養地でも頻繁に見られた。

それにしても、明治の商人の財力と大胆な発想、それに答える職人たちの独創力には、改めて驚くばかりである。

鉄板焼きレストラン 「六角堂」

池波正太郎は売却直前の蒲郡ホテルを訪れ、亡き恩師が語る「正ちゃん。切羽つまった生き方をしてはいけませんよ。たとえ気分だけでも余裕の皮を一枚、残しておかなくてはいけない。ことに男は、ね」という口癖を思い出し、かつて恩師と食べたビーフ・カツレツを注文している。

そんなことを思っていたら、急に牛肉が気になりはじめ、ランチは蒲郡クラシックホテルの庭園内にある鉄板焼きレストラン「六角堂」で牛肉のステーキを注文した。

対岸とまったく異なる植物相を持つ竹島は島全体が天然記念物に指定されている。島のまわりは徒歩で周遊できて、中心部には神社がまつられている。島の周辺では、昔ながらのアサリ漁が細々と続けられていた。

佐分利信はクラス会の宴会から一夜明けた朝、浴衣姿で竹島に向かう桟橋を散歩しながら笠智衆に娘の消息を尋ねる。

笠智衆は「あれから、チョイチョイ家にも来るんだけれどもね。まあ、どうにかやってりゃ、それでいいよ。むずかしいもんだね。子供を育てるっていうことは。まあ、結局は子供には負けるよ。思うようには、いかんもんだ」と語る。

意地を通さず、娘と和解した笠智衆から影響を受けた佐分利信は、勘当同然で嫁に出した娘夫婦が暮らす広島を訪ねることにした。二人の中年男の背景には蒲郡ホテルが映っていた。

『彼岸花』の公開から半世紀以上経つ間に、三河湾のリゾートを取り巻く環境は変わってしまったけれども、娘を嫁に出す父親の心境は、いつの世も変わらないものと思われた。