手仕事のかたち

HAND CRAFT FORM BY SORI YANAGI

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

角の丸い四角い器を長く愛用していたが、不覚にも割ってしまったので、同じ物を買い直した。

和にも洋にも合い、食器だけではなく、小物入れや灰皿にも使える形でありながら、量産品なので値段はけして高くない。

この器をデザインした柳宗里(やなぎそうり 1915-2011)は、父の柳宗悦(やなぎむねよし 1889-1961)が手がけた雑誌「民藝」に1984年から4年間、現代の日用品の中からすぐれていると思う物を選んで解説する随筆を寄稿した。

選んだ物は、古典的な民芸品や著名デザイナーのモダンな工芸品ではなく、日常誰でも使うタワシや野球のボール、電卓、テープカッター、水筒、コルク栓抜き、自転車のサドルなどの使い勝手と美しさを書いた。

ところが、一部の古典民藝ファンから、手仕事で作っていない物ばかりなぜ取り上げるのかと批判された。

すると、柳宗理は随筆の中で、時の流れを逆行させるのは不可能で、日本の歴史の中で育った美学で新しい物を組み立てているのであり、物の良し悪しはあくまで使い勝手と美しさで、手仕事か機械生産かで判断するのはおかしいと反論した。

現代の生活で、多くの人に役立つ量産品は元型を機械で複製して作る。その元型が手仕事で作られていることは、一般にはあまり知られていない。

新幹線や自動車、シャツ、ペットボトルなど、量産される立体には元型が存在してる。無名の職人たちは元型を作るために粘土や木材、石膏、紙などを彫刻家のように手でこねくりまわし、試作を作ってあらゆる角度から見て、実際に使ってみては作り直し、ミリ単位の攻防を何度も繰り返し、途中で補助的にコンピューターを使うことはあっても、最後は手で確かめている。

柳宗理が、人間の作った物に美を見出す行為の対象には、機械生産品も含まれると説くのは、自分の手で用途になじむ元型をたくさん作ったからであろう。

東名高速道路 東京料金所

柳宗理が人々の生活に役立てるために手がけたデザインは、インテリアにとどまらず、橋やトンネル、地下鉄のベンチなど公共施設におよぶ。

1980年に手がけた東名高速道路、東京料金所の防音壁は、道路に沿ったカーブや遮音のために覆いかぶさる曲線、先端の曲面などが壮大な規模で融合する丸みの集大成で、周辺の住宅を騒音から守り、ドライバーの視線にやさしく、これから加速するそれぞれの旅路を無意識のうちに楽しませてくれる。

一日数万台が通過するこの巨大な壁は機械で作られているが、その元型は手仕事であり、日本人の美意識が生きた形と言ってよい。

かつて、観光地の陶芸体験施設で一握りの粘土をもらい、さて何を作ろうと思った時に、いつも使っている角の丸い四角い器を作ろうと考えた。

いざ作りはじめると、面と面をつなぐ曲線は理想の丸みが出ない。すり鉢状にしようとすると、あちこちがゆがんでしまう。結局、四角い箱のような形にしかならなかった。

手で形を作ることは、実際にやってみると、想像よりもはるかに難しかった。