大黒家の荷風セット

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

海外の仕事先で初めて会う人と挨拶をした後に、「ところで、君は何ができるのか」と訊かれたことが何度かある。最初は答えに困ったが、仕事以外の趣味や特技でもよいことがわかると気が楽になった。

同じケースで、日本人留学生が学校で体の大きな外国人学生に囲まれ、「お前は何ができるのか」と訊かれた時に、その辺の紙で鶴を折ったら絶賛され、手先の器用な奴ということで一目置かれるようになったという話を聞いたことがある。

国境や民族が離合集散を繰り返した国では、名刺や肩書きよりも、その人の個性を最初に知りたがるのであろう。それが、会話や交流の輪を広げるきっかけになる。

明治時代に若くして欧米で駐在経験を積んだ永井荷風は、帰国後作家として西洋文化を日本に紹介しつつ、ありふれた風景や庶民的な物を語る目線も持ち、日本の近代文学発展に貢献した。独特の個性は欧米時代でも存在感があったことだろう。

荷風は戦後、千葉県の京成電鉄八幡駅の近所に住み、散歩の途中で駅前の大黒家という大衆割烹に寄っては、決まってカツ丼を注文していた。1959年に亡くなる直前は、ほぼ毎日のこととなる。

大黒家のカツ丼は、醤油よりもダシがきいたあっさり目の味で、豚肉、大きめのグリーンピース、薄めのタマネギはどれも歯ごたえがあり、噛むほどに旨味が出てくる。深い味わいだが、毎日食べる事となると想像がつかない。荷風の場合は、このカツ丼が、味覚、欲望、憧れ、病み付き、などを通り越して、水や空気のような存在になってしまったのであろう。それは万人に共感を得る習慣ではなく、荷風特有の個性だ。

芸術や文化の中から、自分が毎日接していても飽きないものを見つけ、蓄積していくことが個性を育てる。

大黒家では荷風の没後半世紀以上たった今でも、荷風が生前愛したカツ丼に日本酒という注文を荷風セットというメニューにして残している。あらゆる分野で同質化が進む高度情報化社会では個性のあるメニューだ。