STONE LANTERN OF THE KYU IWASAKI-TEI GARDENS IKENOHATA,TOKYO
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
幕末から明治の動乱期に商才で財を成した岩崎弥太郎が、1878年(明治11年)に購入した上野の池之端の土地に、長男の久弥が1896年(明治29年)に建てたのが、現在の旧岩崎邸である。
建物全体は日本の地で外国人を迎える工夫として、英国調の西洋建築を基本としながら、随所に異文化を折衷するスタイルが取り入れられた。
洋館入り口の車寄せに植えられたシュロは、南国調を演出する。洋館の窓枠には松葉の文様を組み入れ、和風を違和感無く取り入れている。館内のトイレには、イギリスから輸入したドルトン社製の陶器が使われ、現在の水洗トイレとほぼ同じ構造が見られる。
一部の部屋の壁には、金唐革紙(きんからかわし)も使われた。これは、オランダ交易がもたらした、革に唐草模様の型押しをした上から金箔で着色した金唐革と呼ばれたものを、日本で和紙に塗り物を施すことで模造した擬革紙で、ほとんど革と思える外観と手触りに驚く。
別棟には、ビリヤード場も設置された。スイスの山小屋をイメージした外観はいかにもカジュアルで、食後のリラックスした気分を盛り上げる。
洋館のバルコニーの床には英国王室御用達ミルトン社製のタイルが敷き詰められた。文様は中東のイスラム様式を思わせる。その先に見える瓦屋根は、洋館と渡り廊下でつながった和館である。
洋館は主に来客用に使われ、和館は住人の日常生活に使われていたようだ。和館の前には、灯籠や池を使った日本庭園も配置された。洋館を背にした灯籠の景色が珍しい。
岩崎邸は国際交流の場として、東西の様式をバランスよく配置し、技術面では西洋からの輸入、西洋の技術を日本の技術で再現、そして純和風を使い分けた。その背景には、「あなたたちの文化を取り入れてみました。さて、ここからは私たちの文化を紹介しましょう」という明治の日本人の気概が感じられた。
岩崎邸は、関東大震災や東京大空襲でも奇跡的に倒壊をまぬがれ、戦後はGHQに接収された後に日本国政府に返還され、激動の日本を体感してきた。
現在は都内に残る貴重な明治の建築遺産となっている。洋館の中で絢爛豪華な装飾に身をおくと、思わず背筋が伸びる思いがする。ハイカラシャツと蝶ネクタイの世界を垣間みた。
正門から邸宅にいたる敷地内の山道は、まわりが樹木でおおわれているので、付近の高層ビルが目に入らず、往時の雰囲気を残している。馬車に乗った来賓客が駆け上ってくる気がする。
山道には四季を彩る木々が植えられ、曲がり角にはアジサイが咲いていた。