SKETCH OF AKAMINE
文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda
子供の頃から絵を描くことが好きで、今でも暇さえあればスケッチしている。「個展をやれば」と、おすすめいただくこともあるが、やらない。
自分にとってのスケッチは、服飾デザインの目と手を養うためで、人に見せるものではないと思っている。
好きな画家は、日本人なら織田広喜。彼が得意とする茶と白の配色を着こなしの参考イメージに使っている。
海外であれば、 パブロ・ピカソや、ラウル・デュフィなど。いずれも、シンプルな配色とラフなタッチを持ち味にした作家たちである。
この1937年(昭和12年)に発刊されたピカソの素描集は、学生時代に、お茶の水の源喜堂書店で古本として購入したもので、文字通りボロボロになるまで愛用している。
名ギタリストのレコードを聴いたり、スポーツの名場面を観て、「このようにプレーしたい」と想う気持ちと一緒で、この画集を開けば、「このように描きたい」という想いがめぐり、どんな時でも、頭の中をリセットすることができた。時には、本を眺めているだけでは我慢できなくなり、画材を広げて模写することもある。
私のスケッチのスタイルは、見たものを写すというより、見たものの印象を描くことが多い。印象の対象は色の対比や光と影、造形の面白さ、映画のワンシーンなどである。時には画学生のように、 自分の手をモチーフにすることもある。
このスケッチは、岡山県の新庄村を散策している時に、川の渦のダイナミズムと中心の泡の、動と静、重と軽の対比が面白くて描いたものだ。こうしたスケッチは作品というよりも、印象をその場で脳裏に刻むためのメモみたいなもので、素早く描いて、後で加筆することはない。
スケッチの着想は突然ひらめくので、外出する時は常に画材を携帯している。画材は、どこでも入手できて、気軽に使える汎用品が多い。
手紙を書く時の毛筆使いは硯で墨を擦るが、スケッチ用に携帯する毛筆は筆ペンである。最初に道具ありきではなく、何を描くかを常に模索している。
携帯電話のカメラで、気になることを手軽に記録する人は多いが、私の場合はあくまでも手描きで、つかの間の童心を楽しんでいる。