仙台のアメリカ人

AN AMERICAN IN SENDAI

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

本サイト事務局に全国から寄せられるお便りは、新しい発見があって参考になり、いつも感謝しています。

先日、仙台在住のアメリカ人の方からお便りをいただいた。お便りの主、ジョン・ロフグレン氏は、仙台の一番町で『スピードウエイ』というアメリカン・カジュアルウエアのショップを営んでいる。背景に興味がわき、近くまで行った機会に、お話をうかがいました。

ジャバン・ジェントルマンズ・ラウンジ(以下JGL)
「JGLのサイトについては?」

ジョン・ロフグレン氏
「書いてある日本語はよくわからないけれど、他にない視点で、写真だけ見てても面白いよ」

JGL
「それは、ありがとうございます」

ジョン・ロフグレン氏と彼のショップ店内 Mr.Jhon A.Lofgren in his Shop “Speedway”

JGL
「日本に来たきっかけは?」

ジョン・ロフグレン氏
「アメリカ西海岸の小さな町で生まれて、20歳の頃からカリフォルニアの古着の種分け所で働くようになった。種分け所といっても、東京ドームぐらいの大きさがあってね。買い付けに来るお客さんのほとんどは日本人だった。その縁で30歳の頃、日本に来て働かないかと誘われ、仙台の古着を扱う会社に雇われた。それから12年間仙台に住んでいる」

JGL
「日本での仕事は?」

ジョン・ロフグレン氏
「最初はアメリカ製品の古着屋をやって、店番をしてた。ところが、日本人のお客さんは店に入ってから、僕を見ると、みんな驚いて逃げてしまうんだ。結局、お客さんが入らなくて、家賃が払えないのでやめてしまった。紆余曲折があって、今は小さいけれど自分の会社を作って、仕入れ商品とオリジナルで作った商品を置く店を1店舗持ちながら、ネット通販や、海外向けに日本の物作りをアレンジしている」

仕入れたカジュアル服と独自に開発した商品が並ぶ店内
店内には味のあるアンティークの装飾が随所に飾られる

JGL
「日本語はどうやっておぼえたのですか?」

ジョン・ロフグレン氏
「ただ住んでいただけ。軍服に興味があるから、普通の言葉よりも、『大日本国防婦人会』という専門用語を知っていたりする」

JGL
「日本で気に入ったものは?」

ジョン・ロフグレン氏
「街角でおじさんがやってる床屋は素晴らしいよ。美容院ではなく、床屋。僕も近所の床屋に行ってるよ。すごく丁寧で、伝統的な良い仕事をする。日本のどこにでもある普通の床屋は、どこも質が高い。アメリカでは有り得ないことだよ。もっと称賛すべきだ。東京に行って新宿の繁華街を見ても何も感じないね」

対米輸出向けに日本で生産された玩具のアンティークを店内に飾る Antique Toy Made in Japan
日本製玩具のアンティークは1950年代のものと思われる Antique Toy Made in Japan
店内のアンティーク時計も対米輸出向けに日本で生産されたもの Antique Wall Clock Made in Japan

JGL
「日本の物作りは?」

ジョン・ロフグレン氏
「床屋同様に職人肌の人が丁寧な仕事をするよね。これも、今のアメリカでは有り得ないことだ。良い物を作ろうと思ったら日本の職人が頼りになる。山形県には良い仕事をする小さな工場があるから、何度も通って、ブーツを作ってもらった。40足作ったところ、雑誌に載ってすぐに完売してしまった。今は注文を取りながら追加生産している。日本のお客さんは商品のことをよく研究していて詳しいね。先日も店でお客さんと靴談議をした。

でも、日本もアメリカと同じで、職人が減ってきているのは残念だね。店に飾ってある昔の日本製の玩具は、アメリカで手に入れたものだ。日本製の良い物を手に入れようと思ったら、アメリカからアンティークを買い戻さなければならないのは寂しいよね」

日本で生地作りや縫製を手がけたオリジナルのシャツ Original Shirt Made in Japan

日本人が海外に憧れて、現地で古着や古本を収集して資料にしながら、山岳地方に点在する職人の工場をめぐって物作りをする現場をよく見てきたが、ジョン・ロフグレン氏の日本での物作りは、その逆のケースと思われた。服の他にも、日本の生活文化全般に興味を持っていて、こちらも日本について再発見することが多かった。

話が震災のことに及ぶと、それまでにこやかに話していたジョン・ロフグレン氏の表情が曇った。

JGL
「震災の時はどうしていたのですか?」

ジョン・ロフグレン氏
「仙台にいたから、津波の被害はなかった。物資を運ぶのを手伝ったりした。自分は無事だったけれど、友達の家族が津波の被害にあったことが一番つらかった。

自分のおじいさんの遺体を海岸から引きあげた友達もいた。仲間でバーベキューをした海岸近くの友達の家は津波で何もなくなってしまった。そこは、国が再びライフラインを引かないことになり、友達は故郷を失ってしまった。

アメリカの小さな町だろうが、東京だろうが、生まれた育ったところは故郷だ。町の景色はかわっても、かつての道や地形に面影があり、自分の生い立ちを確認できるのが故郷だろう。それが全て流され、平らな地面だけが続く土地に変わってしまった。まったく、恐ろしいことだ。

お金で働く外国人は日本から逃げた。僕もアメリカから帰ってこいと言われたけれど、逃げなかった。服を作ることが好きだし、日本には、それを支えてくれる人たちがいた。中には、バイクが壊れたからと連絡したら、夜中の2時でも修理に来てくれた人もいた。そんな人たちをおいて、逃げることなんかできないよ。お金だけで働いているんじゃないんだ」

お店に飾られていた仙台のアンティーク写真 Antique Photo Made in Sendai