名画周遊:高崎・桐生

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
TAKASAKI・KIRYU,GUNMA PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

高崎の商店街 SHOPPING STREET IN TAKASAKI 

人が集まる所には、様々なドラマが生まれる。オーケストラやブラスバンドなど、楽団を題材にした映画は多い。

群馬県高崎市の商店街の人々は、戦後の殺伐とした空気を音楽でまぎらわそうと、喫茶店の二階の集まって、オーケストラの練習をはじめた。

この市民オーケストラ結成の実話にもとづく苦労話は、今井正監督によって1955年(昭和30年)、『ここに泉あり』というタイトルで映画化され、高崎をはじめ、群馬県内でロケがおこなわれた。

現在、高崎の商店街は、閉館当時のポスターが貼られたままの映画館や、鉄骨だけのアーケードが目につき、往時の活況からは様変わりしているようだ。

一二三食堂 RESTAURANT HIFUMI

高崎の商店街の一角にある一二三食堂は、1928年(昭和3年)に創業した大衆食堂の老舗で、年季の入った鏡が印象深い。

表の人通りは少ないが、一二三食堂には常連客や観光客が入れ替わり来店している。わざわざ遠くから来る目的は、名物のヒレソースカツ丼である。

玉子を使わないカツ丼は、養豚業のさかんな群馬県で発達したソウルフードで、ラーメンのように、お店によって味付けが異なる。

ウスターソースにひたしたカツをのせたり、キャベツや黒こしょうを合わせるケースも見られる。

一二三食堂では刻み海苔をのせたごはんの上に、甘みのある独特のソースを塗った3枚のヒレカツをタワー状に立てている。実際に食べてみると見た目以上にボリュームがある。

食堂から近い鍛冶町や紺屋町、連雀町などは、江戸時代の城下町に多く見られた町名の名残りで、昔から職人や行商人が多く集まる場所にあたる。

カツ丼の盛りつけに、体を動かして働く人々が「さあ、午後も頑張るぞ」と、腹ごしらえする場所柄が感じられる。

桐生の商店街 SHOPPING STREET IN KIRYU

楽団は何度か挫折して解散の危機に直面するが、演奏会で巡回する県内の学校や病院で激励され、演奏活動を続けていく。

そんな町のひとつ、桐生市は奈良時代から織物業が栄えた、県下有数の産業町である。近年は、織物業が低賃金のアジア諸国に移転して空洞化が進行すると、ノコギリ屋根の工場はレンタルスペースに転用され、商店街はシャッターを閉じたままの店も目立つようになった。

有鄰館 YURINKAN

桐生市の旧繁街にある矢野商店は、織物業で栄える桐生の町に注目した近江商人が、江戸時代の1749年に出店したお店で、町の人々の生活に必要な呉服や食品、酒、荒物、薬などを扱っていた。

施設内に掲示してある明治22年の銅版画によると、メインストリートに面した店舗の裏には広大な蔵が広がっている。これらの蔵は店頭で販売する調味料の醸造や貯蔵に使われていた。

矢野商店は1990年代、繊維業の衰退から地域の消費が落ち込むと、店舗を茶葉の販売と喫茶店の営業に集約して、役目を終えた蔵を桐生市に寄贈した。

市は旧矢野蔵群を有鄰館という施設名で管理して、コンサートや個展、ロケなどに貸し出している。

店舗の裏にある純和風木造家屋の二階は、近江の本家から定期的に帳簿の監査に来る重役が宿泊するための施設で、普段は支店の社員の入室が禁じられていたそうだ。

かつては満杯だった蔵が空になっている様子は商工業の空洞化を見るようで、昔ながらの厳格で丁寧な商売も遠い昔のように思えた。

群馬音楽センター GUNMA MUSIC CENTER 

映画の公開で市民オーケストラの活躍は広く知られるようになり、文化を通じた復興として高く評価された。

1961年(昭和36年)には、高崎城の跡地に、市民の寄付と市の出資によって市民オーケストラの殿堂、群馬音楽センターが完成した。デザインは日本の近代建築の師とされるアントニン・レーモンドが手掛けた。

敷地内の撮影していると、老人から「今日は城壁の撮影ですか?よく積んだものですよね」と声をかけられた。

音楽センターの撮影がメインであることを伝えると老人は「ああ、音楽センター、良いモノができましたよね。お城が取り壊された後、音楽センターができる前まで、ここは駐屯地になっていて、私の兄は、ここから太平洋戦争に行って18歳で亡くなりました」と言い残して立ち去った。よく見ると音楽センターの前には、駐屯地跡の石碑が建っていた。

音楽センターはほとんど竣工当時のままの姿でたたずむ。無機質な直線と有機的な曲線をダイナミックに対比させた60年代モダニズムのデザインには、子供にもわかりやすい音楽の楽しさと、高度成長に向かう時代の高揚が感じられる。

地域の商工業が空洞化していくなか、市民が平和への祈りを込めた音楽の殿堂は現役で活躍中だ。