横浜マカロニ・ウエスタン

YOKOHAMA MACARONI WESTERN

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

1859年に開港した横浜で、外国人が居留地と港を往来するために開通した馬車道は、近代化する日本の面影を今に残す。

地下鉄馬車道駅から地上に出て、すぐ目に入るのは、1904年(明治37年)に竣工した、かつての横浜正金銀行で、現在は神奈川県立歴史博物館として利用されている建物だ。入り口天井のライトは、いかにも文明開化らしい豪華な雰囲気である。

同じ馬車道で、この銀行の開業よりはるか以前の1866年、薩長同盟が成立した頃の幕末の時代に、信濃屋は日本に在住する外国人や、日本人で洋装する人のために服飾専門店として開業する。洋品店の始祖は古くより舶来品を扱い、本物を求める洒落者を顧客に、日本人の洋装化とともに歩む。

その信濃屋が12月8日に開くクリスマスパーティーに御招待いただいた本サイトメンバーは、お店の重鎮にして紳士服業界の大御所、白井俊夫氏に接見できるだけでも貴重な機会なのに、今回のパーティーでは、白井氏自らカントリー&ウエスタンの演奏を披露して下さる趣向に沸き立ち、パーティー会場に向かう前に信濃屋に立ち寄った。

店の一角には白井氏が愛蔵する数十年前の服飾コレクションを博物館のように展示している。

クレリックシャツは取り替え衿をスタッドボタンで身頃に固定しながら、衿をネクタイの結び目の下で安定させる持ち出しヒモも固定する珍しい仕様で、まさしく博物館級の資料である。

こうした資料の素材や仕立てには、現在ほとんど廃業して再現不可能な丁寧な工程ならではの丹精な表情を見ることができる。

信濃屋の店内で靴を見る登地勝志氏(左)と赤峰幸生氏(右)

赤峰幸生氏は
「自分の服を作りはじめて数年経って、憧れの信濃屋に売り込みに行き、白井さんが気に入って買ってくれた。うれしかったね。それが1970年代初期の話だがら、もう40年近い付き合いになる」と語る。

赤峰氏(左)は信濃屋の八木氏(右)にお店の近況を聞く

パーティ会場となる信濃屋から近いレストラン「ラ・テンダロッサ」は普段から信濃屋のメンバーや顧客が利用する本格派イタリアン料理のお店。

会場で白井氏に挨拶をした赤峰氏は白井氏から「今日は珍しい色のスーツを着てるじゃないか」と言われる。

白井氏はウエスタンを演奏するにしてはコンサバなスーツスタイルと思いきや、
よく見るとスーツの下はウエスタンシャツで、前立てのスナップボタンが正統派フォーマルシャツのスタッドボタンのように輝く。全身をウエスタン・スタイルでまとめるのではなく、独自のミックス感が面白い。

パーティーの乾杯挨拶で登壇した赤峰氏は「ここに来場されている方々の大半は服飾関係の方と思いますが、売り上げ重視の時代だからこそ、心で服を作ることを見直し、服で人の役にたつことを考えよう」とスピーチされた。

乾杯が終わると、お店の名物釜焼きピザが次々と焼かれ、サラダやパスタとともに立食パーティーのテーブルにならぶ。

飲食と歓談が一段落するとお店の一角で白井氏と友人の楽団によるカントリー&ウエスタンの演奏がはじまる。楽団はスチールギターやドブロギター、マンドリンやベースといった弦楽器を中心にした乾いた音色の編成で、1ステージで往年のヒット曲を4、5曲歌う約30分のライブが、ゲストを入れ替えながら3ステージほど披露された。

2回目のステージで白井氏はウエスタンハットをかぶって登場。

ゲストのイラストレイター穂積和夫氏が登場。穂積氏は80歳を越えた現在も現役として絵筆をふるう。

75歳を越えたばかりの白井氏が穂積氏にギターを渡して「穂積さんが歌う曲『キャンディー・キッス』はお菓子の宣伝にも使われた曲で僕も中学生の頃によく聴いた曲です」と紹介をしながら一緒に歌う場面が、この日のハイライトとなった。

穂積氏や白井氏は戦争を体験され、戦後は物資や娯楽が少ない中でアメリカ占領軍がもたらすチューインガムやチョコレート、カントリー音楽に希望を見いだし、復興する日本を服飾活動を通じて牽引してきた。

占領軍の文化を享受することに苦悩しながら、音楽には罪はないと、生きる支えにしてきたカントリー音楽を奏でる姿は「お前たちに何がわかる」と怒鳴られそうだが、魂の叫びを感じる。

現在ロンドンやアメリカで開かれているローリング・ストーンズの結成50年記念ライブもすごいが、お二人の音楽歴はそのキャリアを越え、別な意味の重みがある。いずれにせよ、70歳や80歳を越えてもギターが弾けるということは素晴らしいことである。

白井氏のステージはさらに続く。お店にかけてあるミック・ジャガーのポスターにむかって「まだまだロンドンの若造には負けられない」とばかりにギターをかき鳴らす。

演奏の後で白井氏にギターの談話をいただいた。

JGL
「あのギブソンはいつから使っているのですか」

白井氏
「10年ぐらい前かな。その前はマーチンも使っていたけれど、ボディの板が割れてしまったから買い替えたんだよ」

JGL
「弦は自分で張り替えるのですか」

白井氏
「そうだけど、ギターはほとんどケースに入れたままで頻繁にいじっているわけではないよ。『適当』がいいんだよ」

JGL
「今日は素晴らしい演奏とパーティーをありがとうございました」

パーティーが終わったあと、若造たちはサンタクロースからクリスマスプレゼントをもらった子供のように興奮して、二次会へと「馬車道十番館」にくり出す。

1970年(昭和45年)に明治の洋風建築を復刻して開業した「馬車道十番館」の入り口には1917年(大正6年)に作られた、当時の交通手段の主力、牛や馬のための飲み水槽が移築保存されている。パーティーで興奮した若造たちは、感動を「服で人の役にたつこと」に向けようと考えるが、ほこ先が見当たらないまま、牛や馬が水を飲むがごとく酒を飲み、夜の馬車道に散っていった。