名画周遊:ロンドン・ソーホー地区

TRIP TO MOVIE LOCATIONS : SOHO,LONDON

エッセイ・写真/織田城司 Photo & Essay by George Oda

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都市の大通りは、どこも似たような景色になりつつある。それでも、一歩裏通りに入ると、まだ味のある風情が残っている。

ロンドンを代表する大通り、リージェント・ストリートから東に広がるソーホー地区は、無数の路地に古めかしいアパートがならび、小さな間口の店が軒をつらねている。ペンキを塗り重ねた表情は、店に集まった人たちの想いや物語を感じさせる。

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ソーホーは、古くから庶民の町として栄え、1960年代には、ファッションや音楽関係者のオフィスが集まり、大衆文化の発信地として、世界的に注目されるようになる。

今はロック・レジェンドといわれる人たちも、駆け出しの頃は、皆ここから活動をはじめた。

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大通りから裏通りを奥に進むにつれて、スーツを着たビジネスマンや観光客の姿は次第に少なくなり、地元で働く人たちがランチボックスを買いに行くような、気どりのない商店が広がる。

そんな通りを歩いていると、昔ながらのレコード店が目につく。ソーホーはレコード店が集まる町としても知られ、どこの店も来店客が多く、ボックスに差し込まれたレコードを慣れた手つきでめくっていく。マニアにとってレコードはノスタルジーではなく、現在進行形の愛用品なのだ。

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ナイトクラブ「バッグ・オ・ネイルズ」。アメリカから渡英したジミ・ヘンドリックスは1966年にロンドンで組んだバックバンド、エクスペリアンズとデビューコンサートをおこなっている。ポール・マッカートニーは1967年にここで後の夫人となるリンダ・イーストマンと出会っている。
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レコード店「レックレス・レコーズ」のウインドウに置かれていたオアシスのLPレコード。店の前の道路がジャケットの撮影に使われたので、位置関係がわかりやすいようにと「あなたはここにいます」の表記を加えている。
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「レックレス・レコーズ」の前からオアシスがレコードジャケットを撮影した方角を見る。レコードが発売された1995年当時から路面店には様変わりが見られるが、建物の景観はほとんど変わっていない。
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「レックレス・レコード」のウインドウに置かれていたビートルズのアルバム『ラバー・ソウル』。この近所にあったスタジオがレコーディングに使われた。
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「マーキー・スタジオ」の跡地。「レックレス・レコーズ」から歩いて5分ほどの場所にある袋小路には、かつてレコーディングスタジオがあり、ビートルズが1965年に『ラバー・ソウル』のレコーディングに使ったことがある。1968年にはレッド・ツェッペッリンの結成前にボーカルのロバート・プラントがここでデモテープをレコーディングしている。その後エルトン・ジョンやザ・クラッシュもレコーディングで利用している。
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ルパート・コートという小路で1963年に撮影されたビートルズのプロモーション写真より。
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現在のルパート・コートをビートルズが歩き出した方角から撮影する。
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ルパート・コートの出口にあるルパート・ストリート。ビートルズがここの屋台でバナナを買うシーンも撮影されている。正面には「レイモンド・レビューバー」の看板が見える。
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「レイモンド・レビューバー」でビートルズは1967年に映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のストリップ・ショーのシーンを撮影している。このバーは英国初の合法的なストリップ・クラブとして1957年に開業して2004年に閉店した。
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「レイモンド・レビューバー」と隣のポルノショップを結ぶ連絡通路。

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ビートルズをはじめ、ブリティッシュ・ロックのミュージシャンたちがレコードジャケットやプロモーション写真の背景に好んで使ったレンガ塀や錆びた鉄格子、落書きだらけの壁が持つイメージは、彼らが作り出すサウンドとよく合った。

今でもソーホーの古い町なみには、そんな表情がいたる所に残っている。レコーディングの合間にちょっと通りに出ても、絵になる背景には事欠かなかったのであろう。音楽の発信に町への愛着と生活感を反映させていたことが垣間見られる。

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パブ「コーチ&ホーセズ」。ソーホーの町角に多く見られる小さなパブのうちのひとつ。入りやすい雰囲気だったので立ち寄る。それでも創業は1736年までさかのぼり、現在の建物は1850年代に建てられたもの。日本なら江戸時代にあたるが、ロンドンには古いパブがたくさんあり、この程度だとガイドブックには載らないせいか観光客の姿はほとんど見られない。地元客が普段使いする気軽さがある。
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パブ「コーチ&ホーセズ」のコンビーフとピクルスのサンドウィッチ。
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パブ「コーチ&ホーセズ」で英国産のビールと注文してでてきた生ビール。モダンな見かけによらずコクがあって飲みごたえがある。
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映画『欲望』の連作ポスターより。

イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニは1967年、ポップ・カルチャーでにぎわうロンドンを舞台にした映画『欲望』を手がけた。

ファッション・フォトグラファーが公園で撮影した写真に偶然殺人現場が映り込んでいたことから事件に巻き込まれる物語で、フォトグラファーが人を探すために立ち寄るライブハウスの場面は、当時の音楽事情を知る貴重な資料になっている。

このライブハウスのロケに使われたのが、当時ソーホーにあった「マーキー・クラブ」である。映画の中では「リッキー・ティック」という架空の屋号の看板で映る。ホールは地下にあり、客席はダンスフロア形式の立ち見で、100人も入れば一杯になるスペース。観客はテーブルの高さほどのステージに野次馬のように集まっている。

演奏しているバンドはヤードバーズで、ジェフ・ベックとジミー・ページがメンバーにいた頃だ。ジェフ・ベックが音響設備の不具合から怒ってギターを壊し、客席に投げるシーンがある。

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「マーキー・クラブ」が1964年から1988年まであった場所。サイケなペイントのある建物の地下がホールになっていた。

「マーキー・クラブ」は1958年にオックスフォード・ストリートで開業する。1962年にはローリング・ストーンズが胎動期から出演して、メンバーを変えながらデビューしている。

その後、クラブは1964年にソーホーの中ほどに移転する。その頃ローリング・ストーンズは売れだしてきて、小さなホールは卒業していたので、代わりにザ・フーやヤードバーズ、デビッド・ボウイなどが定期的に出演する。

ビートルズはすでにワールドツアーに出るほどビックになっていたので、このクラブには出演していないが、1966年にジョンとジョージがラヴィン・スプーンフルのライブを観に訪れている。映画『欲望』の撮影があったのもこの年だ。

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「マーキー・クラブ」跡地の1階は現在飲食店になっている。

60年代後半になると、レッド・ツェッペリンやピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンなどが出演する。おそらく当時の「マーキー・クラブ」は、ブリティッシュ・ロックの登竜門のような存在だったのであろう。港町や工業地帯から都会に出てきた若者たちは、魂の叫びを糧に、裏通りの小さなホールから巣立っていった。

その後、音楽をめぐる背景は時代とともに姿を変え、「マーキー・クラブ」も1988年にソーホーから移転して、ほどなく閉店したけれども、ソーホーで働く新しい世代は古い物を暮らしの中に活かし、若きロック・レジェンドたちが闊歩した余韻と、庶民の町らしい活気を今に伝えている。

「マーキー・クラブ」跡地にできた飲食店は、土地の由緒にちなんで、窓の下のコンクリートに、かつてクラブに出演したミュージシャンたちの名前を刻んでいる。最後に、その一部を紹介しておこう。

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