夏目漱石と白シャツ

SOSEKI NATSUME AND WHITE SHIRT

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

夏目漱石とシャツについて思い浮かぶのは赤シャツである。

小説『坊っちゃん』の主人公が四国に新任教師として赴任して、初めて赤シャツを着た教頭を見たときの印象を語る部分を引用しよう。

「教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士といえば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。尤も驚いたのはこの暑いのにフランネルのシャツを着て居る。
いくら薄い地に相違なくっても暑いに極っている。文学士だけに御苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があったものだ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂えるんだそうだ。いらざる心配だ。そんなら序に着物も袴も赤にすればいい」

ここに登場するフランネルのシャツとは、保温性を高めるために毛布のように起毛した素材を使い、英国では主に冬期の戸外で余暇のスポーツに興じる時に着用されていた。当時の主なスポーツはハンティングやゴルフ、釣り、乗馬などである。自然の中で動物と間違われてハンターから誤射されないように、遠くから目立つ色で染められていた。このようなシャツを薬と称して年中着ている人がいたら、坊っちゃんならずとも奇異に感じるであろう。

夏目漱石がお札の図案になった肖像写真の中で着ている白シャツの衿型は「立衿」とよばれていた。英国から明治維新後に伝来した近代シャツ衿の原点だ。「立衿」は衿があごにあたって不都合が多いことから、衿先を三角に折り曲げたウイングカラーが登場して、日本に伝来すると「前折」とよばれた。「前折」はスポーツ競技には窮屈なことから、ヴィクトリア女王亡き後即位したスポーツ好きのエドワード7世の時代に、衿をすべて折り曲げて首の圧迫感を軽減するダブルカラーが登場した。現在のレギュラーカラーに近い構造で、日本に伝来すると「折衿」とよばれた。

ちなみち、お札の図案になった洋装偉人の衿型は、板垣退助は髭にかくれて観察不能だが、伊藤博文と新渡戸稲造は「前折」で、岩倉具視と高橋是清、野口英世は「折衿」だ。「立衿」を着用していたのは夏目漱石だけである。「立衿」は近代シャツ衿の原点でありながら英国でも流布した期間が短く、日本でも着用した人は少なかった。肖像写真は日本の近代シャツ史を語るうえで貴重な資料になっている。

夏目漱石は「立衿」だけではなく、他の肖像写真では「前折」や「折衿」も着用している。1900年(明治33年)にパリ万博を視察してから1901年(明治34年)にロンドンでヴィクトリア女王の大喪を見送った夏目漱石は、シャツのルーツと進化を現地で体感して、日本に帰国後も忠実に再現しながら、時にアップデートしていたのであろう。

ロンドン留学から帰国後の1906年(明治39年)に発表した『坊っちゃん』に登場するスポーツシャツを着る教頭の設定は、洋装シャツの本質に精通して、赤シャツの用途も熟知していた夏目漱石らしい表現だ。権力ある立場の人が物事の本質を理解しないまま独自に解釈して、周囲が同調することでまかり通ってしまう恐ろしさを風刺するとともに、異文化の中で奇異に見られた自分自身も投影している。

夏目漱石の「立衿」姿に、周囲の理解を得られなくても同調することなく、文化の本質を追求した明治の日本人の気概を感じる。