イタリアの旧友

写真・文/赤峰幸生 Photo & Essay by Yukio Akamine

彼の名はマッシモ・フルニアーティ。知り合ったのは30年程前。トスカーナ州エンポリという町にあるディスパント社の社長だった頃だ。

ある日本の商社の企画により、彼が日本に地元イタリア工場グループの数社と売り込みに来日したときが出会いの始まりだった。

父親の会社を受け継いだ2代目でスラックスの専業メーカーとして40名の工員を抱えて営んでいた。最初は彼らのブランドの販売からはじまり、10年後は私自身の名前をそのままブランド名にしたY.Akamine Made in Italy で、ジャケット・パンツの生産を委託。生地開発からデザイン決定まで年4回の打合せをイタリアで行いながら、共に仕事をしてきた。

特に肩パッドなし裏地なしの軽いジャケットは伸び盛りのセレクトショップでブームを起こし、かなりの数を売った事は記録に新しい。彼とは随分喧嘩もしたし、パリやロンドンへの旅や夏場の彼の海の家から自転車で魚屋へ行き、家族共にバーベキューをしたり、兄弟以上の付き合いが今でも続いている。

現在は会社を弟に譲り、保険会社の責任者として年間20万キロイタリア内各都市移動をしながら仕事をしている。そんな中でも私のイタリア出張が決まり連絡すると、スケジュールを合わせて必ず空港で待っていてくれる。正に川島英伍の歌にある「時代遅れの男」のイタリア人である。‘あれこれ仕事もあるくせに・・・’このフレーズがピッタリ当てはまってしまう。

今回も私の仕事がミラノにも関わらず、エンポリから車を飛ばして3時間の時代遅れをやってくれた。義理と人情は日本人の美学を思っていると決してそうではなく、世界どこでも存在するのだと思う。相手の心と付き合える気持ちを持てば既に国境は超えていると感じ、演歌は日本だけのものではないと感じた。