エヌサン族のハンバーグ

HANBURGER STEAK AND HONDA N360

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

ホンダN-ONE 2012年版 HONDA N-ONE in 2012

昨年秋、ホンダからエヌワンという軽自動車が発売された。ホンダがたくさんの人々にマイカーライフを楽しんでもらおうと、1967年(昭和42年)に発売した軽自動車N360の思想を現代に目指したモデルだそうだ。子供のころ、発売されたばかりのホンダN360のプラモデルを作っていたら、親戚のおばさんから「最近これよく走っているわよ」と言われたことを思い出した。

2月8日、日本橋馬喰町のレストラン摩天楼が閉店した。マスターは自称元「エヌサン族」であった。「エヌサン族」とは、1960年代後半、流行服を着てホンダのN360で銀座にくり出し、街を闊歩した若者達を車の略称で呼んだことが語源となる。同様の若者たちを銀座の通りの名前を語源にして「みゆき族」と呼ぶほうが世相史ではメジャーである。当時は軽自動車でも高値で、大半の若者は電車で銀座に通っていたのであろう。

年明けにレストラン摩天楼に昼食に行ったら、マスターから2月に閉店することを決めたと言われた。理由は「息子達が大きくなったから」であった。元エヌサン族も企業では定年退職の年齢となる。

マスターは学生の頃、ビートルズ映画大会に弁当を持って行き、朝から晩まで飽きもせずに何度も観ては、ギターを弾く時のコードの押さえ方などを研究していたそうだ。その後、レストランで修行をして独立した。

「ぽくぽくした食感にこだわった」という看板商品のハンバーグは、他には無い粗挽き感と噛みごたえのある味わいで人気があった。「お味噌汁とお箸とともににいただく」という和風の洋食というコンセプトも気取りがなく、地元の人々が日常的に愛用した。

お店で印象的だったのは2002年に開催された日韓ワールドカップである。開催国のゴールデンタイムのキックオフにもかかわらず、忙しいビジネスマンにとっては、丁度帰宅時間と重なってしまう。そこで、マスターに頼み込んで、レストランにテレビを置いてもらった。

当時、液晶ワイドテレビは高額であったが、この企画は当たり、大会開催期間中は連日、立錐の余地も無いくらいの客入りで繁盛した。あれからワールドカップが2回、テレビの元は取れたであろう。

現役を引退された後、若い頃やりたくてもできなかったギターや自転車など、趣味の時間を充実させたいという方は少なくない。「エヌサン族」の第ニステージ、謳歌してほしい。

レストラン摩天楼のハンバーグ & カニクリームコロッケ