職人と衿

文/織田城司 Essay By George Oda

私はシャツが縫えないので、新作シャツの試作は型紙作りから縫製までこなす職人に依頼することになる。今から15年程前、試作シャツの依頼のためにデザイン画を持って工房を訪ねたところ、職人から「物づくりは魔法じゃない。絵だけじゃ形は作れない。出直してきな」と言われた。こちらの勉強不足であったが、考えてもわからないので再度訪問すると職人から「また来やがった。だいたい、こんなのシャツじゃネエ」と言われた。

何度か訪問を繰り返しては工房で手持ち無沙汰にしていると、ようやく職人は重い口を開いて「人間の首はギロチンで切ったら、みな断面がちがうのだ」と語りだした。その解説によると、人間の首の形は顔と同様に千差万別で、長い、短い、縦長、横長、おまけに胴体に付いている角度も様々である。オーダーシャツならともかく、既製シャツで万人の首にフィットする衿設計などあり得ないのである。このため、このシャツはこういう体型の人がお召しになった時に、このように見えるという骨組みを設定して、その表面に飾りを付ける。骨組みなくして飾りのことばかり説明されても物の作りようがないということであった。

シャツの衿が顔に対する額縁の役割をするとすれば、衿を付ける角度はあごに近づく上向きで、首を覆う面積が広いほうが効果的である。洋装のドレスアップは浴衣や下駄と一緒ではなく、多少の窮屈感は当然のこと、という明治のハイカラ精神は欧州の基本を忠実に再現していた。

戦後、高度成長時代になると、会社が定めた「スーツにネクタイ着用のこと」という服装規定のもと、満員電車にもまれ、がむしゃらに働いたモーレツ社員たちは、シャツの着方の基本がわからぬまま、首を圧迫しない衿付け位置のシャツを好み、メーカーも「売れる」という大義名分のもと、そのような骨組みのシャツを主流に供給した。

情報の発達により国際化社会をむかえた近年、あごとネクタイの結び目の間に距離があり、上着に埋没して見える高度成長時代の骨組みのシャツは見栄えが中途半端であることに気がつきはじめ、ようやくシャツの衿が付いている角度に関心が持たれるようになった。

シャツの買い方も寸法さえ合っていれば、という時代から着用した時の見栄えも意識されるようになったが、ブランドによってシャツの骨組みは異なり、なおかつ袋に入って販売している状態では確認しにくい。このため、靴と同様にシャツも試着しながら自分の体型とシャツの骨組みとの相性や、正面や横から見た時の見栄えを確認するのが良いであろう。最近はシャツの試着ができる売り場も増えている。

職人は一度仕事を請け負うと、数日間は型紙作成や縫い合わせなどをミリ単位で試行錯誤する。骨組みの構想が無い発注者が安易に試作シャツを依頼して、出来上がったシャツが誰かに着にくいと言われたとか、衿が跳ねると言われたからといって、軸が無いまま何度も修正するのは「断じて許せない」ことであって、発注する側にも確固たる意志と市場リスクを負う責任が必要とされるのだ。

職人は戦後の集団就職で山形から上京し、仕立屋に奉公して技術を覚え、腕一本で独立してからは、通勤電車の乗客を眺めては「あの体型の人だったら、このような型紙設計だろう」とイメージトレーニングを重ねながら仕事に生かし、一家を支え、数年前に引退された。後に共通の知人から聞いた話によると、実は私の試作を楽しみにしていたそうである。「あの野郎の変なシャツをどうやって組み立ててやろうかと考えるプロセスが楽しい」と語ったそうだ。語気の荒い職人の言葉はわかりやすかったが、せめて人間の首は金太郎飴ではないとか、柔らかい表現にしていただきたかった思うのは贅沢である。