『日本力』を読んで

写真・文/平田元吉 Photo & Essay by Motoyoshi Hirata

『日本力』(松岡正剛 エバット・ブラウン/著)を読了した。

著書内に日本の社会は権力の上のほうにいる5%位がちゃんと考える能力を持っていれば、あとは何割かの技術者がいればよくて、残りの人間は何も考えなくてもいいという教育が推し進められてきた、という記述がある。

いわゆる○×詰め込み型方式で、行間の意味を深く考えさせることをさせず、将来、理不尽な事も思考停止して忠実に働くワーカーを作り出すための教育である。

戦後~バブル期までは5%の権力者が本当に優秀で時代にもマッチしていたのでトップダウンの社会が成り立っていたんだろう。

現在は舵取り役が五里霧中の状態になってしまったのに相変わらず舵取りを任されてしまっている。

船長は悪気があって間違った舵取りをしている訳ではない。

時代の大きな流れから自身の感覚がずれてしまった事に気が付かないふりをしているだけだ。

だが、乗組員は共に沈没されられてもよいという事ではない。

今、年功序列という日本に根付いた慣習が、超高齢化社会に向かう日本においては悪い形で表れてしまっている。

今後はさらに悪循環になるだろう。

これを打開するには個人的には移民を段階的に受け入れるしかないと思っている。

移民が進めば必然的に「多様性」が生まれ、発想の転換が起こりやすくなり年功序列という考え方も薄まっていくはずだ。

しかし思考停止型教育を受けてきた日本人がバイタリティのある移民に権力を奪われてしまう危険性もある。

未来へ向けて足場を固める必要があり、そのための経済、政治における権力の移行、教育改革が進まないと未来のデザインが描けない。

著書には「日本の宗教は経済である」という記述もある。

人間としてのホームポジションが「経済」なのだ。

だから原発問題など人間としておかしいと思う事が「経済の論理」であらぬ方向に進んでいってしまっているのではないか。

最近ではリオ会議におけるウルグアイムヒカ大統領のスピーチが印象的だ。
(日本語訳BLOGエントリー:http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ )
YouTube:http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ezofj2ydzz4

「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。・・・私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。・・・貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

時代の転換期に差し掛かっている今こそ思考停止せずに「本当の豊かさ」や「幸せ」とは何かを見つめ直し、自分のホームポジションを見直した上で未来に向けてどう行動していくのか考えていかなくてはならない、と痛感した。